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2015年9月、記録的な大雨に見舞われた日本ではあちこちで水による被害が出ました。特に栃木県や茨城県では、特別警報が出される事態になりました。
そんな中、茨城県の常総市では、市内を縦に流れる鬼怒川の堤防が決壊するという事態に・・・。
茨城県の常総市といえば、そう大家族の石田さん家があるところです。石田家の大ファンの自分は「石田さん家大丈夫か?!」と咄嗟に思い、常総市の洪水ハザードマップをチェックしたのを思いだします。
そのハザードマップによれば、石田さん家の付近(水海道駅周辺)はまだ浸水していなかったので安心してました。しかし翌日、浸水の範囲が広がっているという情報を耳にし、再度常総市の洪水ハザードマップを確認したところ、石田さん家があると思われる付近は既に浸水が確認されていました。
その後の石田さん家みんなが無事なことはネットの情報で知りましたが、石田さん家がどうなったのか?というところまでは分かりませんでした。
そんなモヤモヤした気持ちで年を越した1月3日、「大家族 石田さん家 新春スペシャル」で石田さん家の洪水被害の甚大さを知ることになりました。
石田さん家洪水被害の一部始終
以下は番組の内容をもとに洪水被害の様子を書いたものです。
鬼怒川決壊
2015年9月10日、猛烈な雨により、常総市を流れる鬼怒川の堤防が決壊。
堤防が決壊した場所より12kmほど下流にある石田さん家には、その時はまだ水は到達してなかったようでした。しかし、水が到達するのも時間の問題ということで避難指示は石田さん家にも届いていた。
しかしお母ちゃんは、認知症のみさ子ばあちゃんを連れての避難は困難だろうと考えて、避難をためらっていました。
その頃、次女の芽衣子さんが勤務先の市役所からびしょ濡れの状態で帰ってきて、そして、7男の隼司くんからは友達の家に避難しているとお母ちゃんのところに電話が入った。
避難開始
お母ちゃん、芽衣子さん、みさ子おばあちゃんは、不安の中家でじっとしていたが、夜になり事態は急変しました。
今井ディレクターが、「お母さんヤバいです!田んぼまで水が来てますから」と言って、石田家にやってきたのです。すごい勢いで水が石田家に迫ってきているととても緊迫した様子だった。
それを聞いたお母ちゃんは、避難することに決意し、午後6時半に避難を開始。
お母ちゃん、芽衣子さん、みさ子ばあちゃん、ディレクター、そして愛犬アリ―は、車に乗って指定の避難場所へ向かったのです。
しかし、道路はすでに冠水していました。避難場所へ行く道はどの道を寸断されていて、お母ちゃんたちは、避難所へ行くのを諦め、とりあえず近辺で一番高い場所にあるという公民館に行きました。
しかし、高い場所にある公民館にさえ、水は迫ってきました。
身の危険を感じたお母ちゃん、消防署に救助要請の電話を入れ、不安と恐怖のなか救助隊の到着を待ちました。
そんな中、公民館が停電してしまう・・・。
この頃になると、水は凄い勢いで館内に入りこんでいた。
※この時一緒にいた今井ディレクターは後に、この停電が一番怖かったと話していました・・・。
撮影スタッフの照明を頼りに、みんなでの調理室に移動し、調理台などの高い場所に避難した。
時間の経過とともに、水位は増していくばかり・・・。
この時お母ちゃんたちが感じていた恐怖ははかり知れないものだったことと思います。
そんな時、ようやく救助隊が到着。救助を要請してからじつに3時間後の到着となった。
みさ子ばあちゃんから順番にボートに乗せられ、こうしてみんな無事避難所に辿りつきました。
避難所のお母ちゃんを迎えに
お母ちゃんたちが大変な思いをした日、お父ちゃんもまた、家に帰る事が出来ず、つくばみらい市に住む四男智広くんの家に泊まりました。
石田家にはしばらくの間戻れないだろうと考え、智広くんの家にしばらく居候する事に決めたお父ちゃん、この日は長男孝之くん家族を智広君の家に呼び、みんなで掃除をしていた。
避難所にいるお母ちゃんたちを迎えに行くと言って、お父ちゃんと孝之くんは車で避難所に向かった。
避難所に着いたお父ちゃん、お母ちゃんを見つけると、
「なんだ大丈夫じゃん、馴染んでる」
といつもの調子でお母ちゃんに声を掛けた。
いつもなら、文句の一つも言い返すお母ちゃんだが、この日ばかりは疲れきった様子で反論すらしていなかった・・・。
こうして、お母ちゃん、芽衣子さん、みさ子ばあちゃん、そしてアリ―は、避難所をあとにし、智広くんの家に向かいました。お母ちゃんは相当疲れていたのでしょう、智広くんの家についてすぐ眠っていました。
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洪水被害の現実・・・
堤防決壊から3日目の9月12日、
お父ちゃんは常総市の自宅を見に行くことに・・・。行く道中、「あー行きたくない」と本音をポロリこぼし冴えない顔のお父ちゃん。
町のあちこちで車が水に浸かった状態のまま放置されていて洪水被害の大きさを物語っていました。結局この日は水が引けてなかったため、石田家にたどり着くことは出来ませんでした・・・。
9月13日、堤防決壊から4日目、この日は水がだいぶ引いてきていたため、お父ちゃんと孝之くんで石田家に向かった。
水が引けて来てると言ってもまだ表の通路は使えず、隣家を通って石田家に辿りついた2人。
お母ちゃんが一生懸命育てていた植木鉢(通称:ジャングル)は、水にどっぷり浸かった様子で白く枯れかかっていた。
家の中もごらんの通り。一家部分はほぼ全滅でした。
お父ちゃん自慢の別宅(通称:網走刑務所)も・・・。
3週間後に退職を控えていたお父ちゃん、この惨劇を目の当たりにし、
「これから定年後の人生をどうしようか?って考えてた時に、人生ゲームでサイコロ振ったら、振り出しに戻っちゃった・・・」
と弱音をこぼしていました。
石田家全員?であと片づけ
9月14日、この日は石田家が全員が集合した。(と言っても放送では長女と次男と三男が映っていなかった)
長男孝之くんを筆頭に、四男智広くん、五男元基くん、六男有志くん、七男隼司くん、次女の芽衣子さん、そこにお父ちゃんとお母ちゃんが加わり、みんなでめちゃくちゃになった家の中を綺麗にしていったのでした。
リビングの電化製品や家具はもう使いものにならず、次から次に出る廃棄の山・・・。
そんな時大活躍したのが、隼司くんと友達たち。
隼司くんとガテン系の友達たちが、軽トラックを使って次から次へと廃棄品を運びだして行きました。
これからについて苦悩する父ちゃん・・・
家の方は後片づけが進みつつあるものの、まだとても住めるように状態ではなかった。
なので相変わらず、四男智広くん家に居候するお父ちゃんたち。電気代はいつも5倍になっていたそう。智広くんもこの状況がいつまで続くのかと不満をこぼすようになっていきました。
がしかし、だからと言って行く場所のないお父ちゃんは、もう半分投げやりになっていました。
「俺もうわかんねえんだよ」
「すげぇ悔しいんだよ俺」
「俺もう諦めた・・・」
と智広くん愚痴をこぼすお父ちゃん。
この日はお酒がかなり入ったせいか、お父ちゃんらしくない弱音が次から次へと・・・。
そしてそのやり場のない気持ちはお母ちゃんにぶつけられました。
今月で退職することが決まっており、こんな状態では再就職先を探すことも出来ないとお母ちゃんに一方的に話すお父ちゃん、
「別れようか」
こんな言葉まで飛び出す始末・・・。
お母ちゃんは、そんなお父ちゃんのぼやきをただじっと黙って聞いていましたね。
お父ちゃん、やるせなかったんですよね。退職してさあこれから第二の人生を!という時にこんな大災害に見舞われたわけですからね。
お父ちゃんの決断!
そんな夫婦げんかもありながらも、石田さん家は次のステップを踏んでいました。
洪水被害のなかったみさ子おばあちゃんの家に、お母ちゃんと芽衣子さんと隼司くんが住む事になりました。お父ちゃんは智広くん家にそのまま居候するようです。
そしてお父ちゃんは、退職の日を迎えていいました。
山形の田舎の一番偏差値の低い高校を卒業し、英語も喋れない自分が、この外資系の会社で38年間勤め上げれた!と感慨深げに話すお父ちゃん。表情は明るかった。
それからのお父ちゃんは前向きだった。智広くんとの2人暮らしはもう2ヵ月になるお父ちゃんは率先して洗濯や洗い物をしていた。
そしてとある日、「来れる者は全員集合せよ!」と言って、あた片づけの済んだ石田家に子供たちを集めました。
実に27年ぶりに庭でバーベキューをしたのです。
「今さらバーべキューをしたいとも思わないけど、こうやってまたみんなでバーベキューできたのは水害のおかげ」
お父ちゃんはそう言って凄く喜んでいました。
そしてお父ちゃん、最後にみんなを集めてこう言いました。
「四月には住めるように何とかしたい!」
修繕費用は、ざっと見積もっても600万円かかるそうです。お父ちゃんはそれでもこの家を守ると言っていました。
そして最後に、恒例の家族写真!
お父ちゃんやっぱかっこ良かったですね。
やっぱり石田さん家にはあの家が必要なんです!
”みんなが帰って来れる場所”
これをなんとしても守り続けるんだ!というお父ちゃんの決意がひしひしと伝わってきました。
再就職頑張って下さい!陰ながら応援してます!
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