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「何があっても見捨てない。究極のことがあったら私が始末する!」
石田さん家のお母ちゃんはこう言っていました。
これは、2015年の放送でお母ちゃんが、7男の隼司くんに対しての子育て論を語った時の言葉です。
今でこそまともになりましたが、隼司くんの反抗期は凄まじいものがありました。それゆえにお母ちゃんの覚悟も凄かったのです。
七男・隼司くん
生年月日:1996.1.20
・美容専門学校卒業
・大手美容室チェーンに就職
七男隼司の反抗期
末っ子の隼司君は、小さい頃はとにかく可愛かったです。
当時1歳↓
末っ子の隼司くんは、いつもお兄ちゃんたちのおもちゃにされてよく泣いてましたね。それを長男の孝之くんがあやすっていうシーンがよく放送されたいたという記憶があります。
あと、この頃の隼司くんはよく、「う〇こ」「ち〇こ」を連発してましたね。ちびっこには大爆笑のこのフレーズ・・・。もれなく隼司くんもハマってましたね。
そんな隼司くんですが、中学3年ごろにちょっと様子がおかしくなります。
中学3年当時↓
この頃隼司くんは、髪にピンを付けて中学へ登校。もちろんカバンの中は空っぽ。
お母さんに「何しに学校行ってんだか??」
よく言われてました。
ここまではまだそう反抗期らしい反抗期もなく可愛かった隼司くんでしたが、この後です。高校に入ってからが凄かったんですね。
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高校時代↓
この頃の隼司くんは酷かったですね。お母ちゃんに向かって
「母ちゃんカネ!」
って言ったり・・・。
生活も荒れてましたね。学校も行っているのか行ってないのか判らない状態で、夜は友達の家に遊びに行って帰ってくるのが夜中っていう生活を繰り返していました。で、朝起きないからお母ちゃんが起こそうとすると、
「うるせんだクソババア」
と怒鳴ったり、取材陣に対しても
「撮ってんじゃねーよ!」
と言ってモノを投げつけた時もありました。
にも関わらず、おかあちゃんが車で送ってくれないと学校へ行かないほどの甘えん坊だった隼司くん。お母ちゃんはこの頃隼司くんの事を『わけのわからないバカ息子』と言ってましたね。
あと、取材ディレクターにこんな事を言ってましたね。
「俺、何て言われてるか知ってっか?・・・茨城の歩くち〇こって言われてるんだぜっ!」
と・・・。
そんな隼司も立派に成長!
反抗期を迎えお母ちゃんにとっても大変な時期はありましたが、隼司くんはお父ちゃんの辿った道と同じ道である美容師を志し専門学校に通い出した頃には、もう立派に成長していましたね。
お母ちゃんの誕生日には、サプライズで花束とケーキを用意し、お母ちゃんを喜ばせてましたしね。
そして、現在は、その美容専門学校も卒業し、大手美容室チェーンで働いているそうです。
石田さん家の2016。イケメン隼司のド派手成人式&涙の巣立ち。
以上、石田さん家の七男隼司の壮絶反抗期まとめ~「私が始末する!」
でした。最後までありがとうございました。
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ゆうじくんと隼司くんの大ファンです